人を助けることについて
和尚さんが昔話をしてた。
学生時代保育園の体験学習に行った時、自転車?を軽い坂の上の倉庫に片付けようと、何度も戻っちゃいながらも頑張って登る園児を、手助けしようとした和尚さん。
園の先生が、助けないで!と注意した。
すぐに手を貸してしまったら、自分の力でやり切る成功体験を奪うことになってしまうって
その場の優しさよりも、その人の先のことを本当に考えて行動するのが良いということだと思うけれど、わたしは話を聞いていて、そのままずるずる後ろに下ってしまって大変になる園児ばかり浮かんでしまって、こわかった!
自分の助けたいという欲に駆られてしてしまってはいけないよなと、わかるけれど
それで取り返しのつかなくなった場合それは失敗の判断となるのかな?
その時は心をどのように動かすのが正しいとされるのかな?
これはわたし極端な想像であげあしをとっているのかな?
むずかしいよ
自分たちはこの話の園児側でもあるのを忘れちゃだめだなぁとも思った。
頑張れば相手も自力でできるかもしれないことに手を貸す時、力によって助かることと共に、なんだかやわらかい気持ちにお互いなることができて、それってその場だけのことだから意味がないのかな?わたしはそういうのが好きで、でも確かにそういうのに甘える節がある。
しかし和尚さんも、ひとを幸せにしなさい。って言って、幸せにする手段として笑顔でいることをあげていた。
これはほんとうかな?
その場だけじゃないのかな?
ほんとうのようにも思う!
何かをしてあげることの判断は難しいから、せめて無駄な不幸を周りに与えないまっすぐさを手に入れたい。穏やかで安定していることはたしかに、先々を考えてもひとを継続して幸せにできる気がする!笑顔もそこに取り組んでいくんだ!
生きていると精神は上下してしまってやっぱりむずかしい、修行が必要か?いないのが1番ひとを幸せにできるのではないかって思う、でも人間であるなら、まだ仏にならないなら、わたし、未熟な人間だからこそ、生きていて意味があるのかな?とか思うぞ
ちゃんと登場人物になっていますんだ……登場人物なんだから、いいんだ。でも、がんばるぞなんだ…
こんなまとまらない話はなかなかなくて、すごいな よろしくお願いします。
あまり長くないかもだなぁ